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華佗(かだ) - 血はまっ かだ !

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華佗(かだ華陀とも書く。生年不詳208年)字は元化。または元方。民衆から「神医」と呼ばれ、現代まで語られる伝説的名医。薬学・鍼灸を得意とした。

概要

世界初

麻沸散(まふつさん)という麻酔薬を開発し、世界で始めて麻酔による外科手術を行った人物とされる。

神業

陳登を診察し、胃の寄生虫を発見、2升の内服薬を投与して虫を吐かせて治癒したうえ、3年後の再発までも予言した。 予言は的中したが、その時華佗はすでに他界していたため、陳登は死亡した。 李通の妻が重体になり原因すらわからなかったが、華佗が診察すると流産した胎児が残っているためと判明。 このとき、李通は「胎児はもう降りた」と言ったが、華佗は胎児は双子で、一人が残っていることを見抜いた。 県の役人の尹正という人が、発熱、口の渇き、苛立ち、小便の不通などを訴えたときは、「熱いものを食べ、汗が出れば平癒するが、出なければ3日で泣きながら絶命する」と診断した。 尹正は熱いものを食べたが汗は出ず、診断通りの有様で死亡した。 軍の役人の李成という人が血膿を吐いたときは、腸炎と診断し、さらに18年後に軽い再発があるからと、その分も合わせて粉薬を処方した。 しかし李成は5~6年後に同じ症状になった親戚にその予備の薬をあげてしまった。 親類は治癒すると華佗に代わりの薬をもらいに行ったが、その時華佗が曹操に捕縛されていたため薬は手に入らなかった。 李成は華佗の診断を受けてまさに18年後に再発し、死んでしまった。 劉勲の娘が7~8年にもわたり痒みを伴う腫れ物に悩まされていたが、華佗が診断すると「これは簡単に治る」と言った。華佗は赤犬を連れてきて縄をその首に巻き、馬に引っ張らせた。馬が疲れるまで引っ張り、その後は人にも引っ張らせた。華佗はその赤犬の腹を割き、娘の患部に近づけた。すると患部からうろこを持った三尺ほどの蛇のような生き物が出てきた。その後、娘は一週間ほどで治ったと言う。

曹操に殺される

頭痛もちの曹操は、それら華佗の評判を聞きつけ自らの典医とした。 当時、医者を含め、政治・儒学・文学以外に携わる者は社会的に地位が低く、華佗は日ごろからこれを残念に思っていた。 そして曹操の下でも自分に高い身分が与えられず医者としてしか見られないと、ついに「医書を取りにゆく」といって故郷に帰ると、籠もって戻ってこなかった。 曹操は怒って華佗を投獄、拷問して、荀彧の命乞いも聴かず殺害した。 曹操には溺愛していた曹沖という息子がいたが、曹沖は華佗の死を悼んで心痛のあまり13歳という若さで夭折したという。 曹操はそれに加え、これで自らの頭痛を治療できる者がいなくなったので、華佗を殺害したことをたいそう後悔した。

三国志演義では

ボクお医者さん怖いよー

なお三国志演義では、曹操が華佗を殺害したのは、「治療のために頭蓋を切り開く」と言われ恐れをなしたからだとしている。 また漫画:蒼天航路では、華佗の医術を高く評価した曹操は、医の分野を高位の学問にまで昇華させようとしたが、医術より儒教的道徳を重んじる華佗は儒教を重視しない曹操の手法に反発し命令に従わなかったため殺された、として描いており、儒教とそれ以外の生業に対して曹操と華佗の立場は正史とは真逆と言って良い。

医者と言えば全部華佗かよ

毒矢の傷を受けた関羽がその治療を受けたときは、骨を削る手術だったにもかかわらず平然と碁を打っていたといわれるが、三国志演義では、その治療を施していたのは華佗だったとしている。 三国志演義では他に、、重傷を受けた周泰の治療をしたという。

なにすんねん

また、青嚢書という遺書を著し、獄吏に渡してこれを残そうとしたが、獄吏の妻が焼いてしまったなど。

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