My三国志百科事典

My三国志を楽しもう!My三国志はじめてガイド

石亭の戦い(せきていのたたかい)

本文 編集 画像登録 ノート 履歴
石亭の戦いせきていのたたかい)は、228年に生じたの戦い。

概要

諸葛亮による北伐(第一次)にが呼応して起こした戦い。しかし第一次北伐が終了して時間的に遅れ、魏は体勢を立て直す時間はあった。

魏の曹休が数十万を従えて対呉戦線に赴任していたのに対し、の将軍・周魴が自ら孫権に進言し、魏と内応するフリをしておびき寄せる作戦を実行した。周魴は曹休に孫権への不満やもともと魏の民になりたかったことなどを綴った7通の書状を送ると、直接曹休のもとを訪れ呉に攻め込んでくれるように嘆願した。また、中央から自分に詰問の使者を送らせ、剃髪して謝罪するなど呉の本国とうまくいっていないと思わせる芝居も打った。曹休はすっかり信じ込んだ。

赤壁の戦いにおける苦肉の策や、孫権自身が魏に恭順の意を示したり反抗したりを繰り返すなど、偽降は呉の十八番と言う印象を受けるが、そのほかの成功例としては珍しいものである。周魴が文武両道の武将であったゆえに真に迫った手紙が書けてこそ為し得たのであろうと思わせる。直前に韓綜(韓当の息子)と翟丹が本当に魏に投降してしまっていたのも効いた。

賈逵は当初から周魴を怪しみ、周魴を受け入れることに反対したが、曹休は聞きいれずに呉領に攻め込み、待ち伏せしていた陸遜と周魴から挟撃され、大打撃をこうむった。しかし賈逵の援軍に救われ、何とか退却した。

関連カテゴリ

戦い

関連記事

スポンサードリンク

関連URL

石亭の戦いのイラスト

イラストを投稿する

石亭の戦いのタグ