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段煨(だんわい)

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段煨だんわい生年不詳209年)、字不詳。董卓の配下武将。董卓の死後は献帝に助力する。

概要

割とまともな奴です

段煨は汜水関の戦い虎牢関の戦い)の後、反董卓連合軍に対する備えとして弘農の華陰県に駐屯。そこでは李傕郭汜などと違って略奪など行わず、堅実に農業に勤しんだという。

献帝を保護しようとしたが

李傕・郭汜が長安で献帝の身柄を奪い合い、献帝がこれを避けて長安を脱出したときは、その洛陽への途上に駐屯している段煨は、献帝に衣服・物資をなどを提供したうえ、自陣に迎えようとした。しかし献帝の護衛として随行していた楊定はもともと段煨と仲が悪く、そこで楊定は段煨が下馬しなかったのを見てすかさず「彼は謀叛を企てています」と言った。种輯は楊定に同意し、楊彪は「段煨が叛逆しないこと死をもって保証いたします。彼の陣営に幸なされませ」と段煨を擁護した。献帝が態度を決めかねると、献帝の重臣・董承が「郭汜軍七百騎がいま段煨の陣に入りました」などと言ったので、献帝らは段煨の陣営を避けて野宿することになってしまった。

その後段煨は、楊定の軍に十日も攻撃されたが、それでも献帝に食料を献上し資金を援助することをやめなかった。

賈詡に頼られる

長安にいた賈詡は、献帝が李傕・郭汜のもとを離れたのを見て、自らも長安を後にした。そこで段煨を頼って仕官した。段煨は賈詡を迎え入れて優遇しながらも、その才能をたいへんに恐れ、軍勢を奪われてしまうのではないかと疑心暗鬼になったという。賈詡はその内心を見抜いたので、自ら段煨のもとを離れ、その後は張繍に仕えている。

賈詡はそのとき家族を置き去りにしたが、段煨はその後も賈詡の家族を手厚く世話した。張繍との仲を取り持ってもらおうと思ってしたことだと言う。

李傕討伐に加わる

献帝に逃げられ衰退した李傕を最終的に討伐したのは献帝の配下武将の裴茂だが、段煨はこの討伐軍に参加し功績をあげた。

三国志演義では

お手柄

裴茂に従って李傕の首級を挙げた。

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