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曹真(そうしん)

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曹真そうしん生年不詳231年)、字は子丹。曹操曹丕曹叡の三代に仕えた将軍。

人物

自分の財産を恩賞として分け与えるなど部下思いの太っ腹。 ただ気前の話だけでなく、本当に太っ腹だった。 呉質から酒宴の席で肥満であることをからかわれて激怒したと言う逸話が残る。

概要

曹氏?

曹真の出生については大きく二説ある。 曹操の親戚である曹邵の子であるとする説と、命を投げ出して曹操を助けた秦伯南の子であるとする説。 いずれの説においても、曹真は曹操に自分の子と同じように育てられたとする。 亡くなった知り合いに幼少の子あれば哀れに思って領地を分け与えるなど、自分の子供の頃を思って同情したらしい行動を取る。

虎豹騎

曹操の親衛隊である虎豹騎曹純曹休など曹家のそうそうたる将軍が隊長を努めているが、曹真もこれを努めている。 虎に襲われて逃げ、あせって振り向きざまに矢を放ったところ、たまたま命中して虎を倒した。 何を思ったか曹操はこれを「勇猛である」として曹真を虎豹騎隊長に任命した。

218年

劉備漢中に攻め込んできたとき、曹真も曹洪・曹休らと共に援軍に駆けつけて戦功を上げたが、夏侯淵が敗れて結局漢中は奪われた。

222年

夷陵の戦いの後、呉の疲弊を見た曹丕の命で曹仁、曹休と共に三路より攻め込んだ。 しかし呉の必死の防戦により勝利を得ることは出来なかった。

228年

諸葛亮による北伐(第二次)。馬謖の失策により第一次北伐に敗れた諸葛亮だったが、すぐさま陳倉から侵略を再開してきた。 曹真はこれを予想し、郝昭に陳倉の城を守らせて諸葛量の進撃を防いだ。 諸葛亮は郝昭を落とせず兵糧が尽きて撤退したが、曹真は配下の猛将・王双に命じて追撃させると、王双は返り討ちに遭ってしまった。

230年

諸葛亮による北伐(第四次)。諸葛亮が病気と聞いて曹真は司馬懿らを率いて漢中に侵攻。迎撃に来た諸葛亮と対峙したが長雨のために進軍できなくなり撤退した。

231年

重い病にかかって亡くなった。

三国志演義では

諸葛亮の足元にも及ばず

郝昭の働きで一度は陳倉を守ったものの、その後は曹真は諸葛亮を追撃するも、まったく歯が立たなかった。

賭け

漢中に攻め込んだが長雨で撤退したとき、司馬懿と共に孔明が追撃してこないことを不審におもったが、司馬懿は諸葛亮が隙を突いて祁山を奪おうとしていると読んだ。 曹真はこれを信じなかったので、司馬懿は賭けを持ちかけた。 軍が祁山に現れなかったら自分は顔におしろいを塗って女装すると言い、曹真はこれに応じて蜀軍が祁山に現れれば司馬懿に玉帯と名馬を与えると言った。 はたして、司馬懿の読みどおり諸葛亮は祁山に軍を進め、警戒していなかった曹真は危機に陥ったが、司馬懿に助けられた。

死に様

曹真は諸葛亮と司馬懿の戦いに自分の能力が及ばないことを痛感し、大将軍の器でないことを気に病んで本当に病にかかり、軍権を司馬懿に譲って亡くなった。

血縁

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