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曹叡(そうえい) - 残された小鹿

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曹叡そうえい206年236年)、字は元仲曹丕の子。の第二代皇帝。明帝。

概要

超ロン毛

天姿秀出」と言われたほどの美男子だったと言う。髪が床に着くほど長かったとか。母似だったのだろうか。その母・甄氏は晩年、曹丕から遠ざけられたため、曹叡はなかなか太子に指名されなかったと言う。

即位

226年に曹丕の崩御を受けて即位。それまでほとんど公に姿を出さず、曹叡をよく知る者はごく少なかったとか。

ただ聡明で祖父・曹操から眼をかけられていたと言う。また、曹丕と狩りに出かけ、曹丕が親鹿をしとめて曹叡に「子鹿が逃げるぞ。早く射ろ」と言うと、曹叡は泣きながら「親鹿が殺され、私にはその小鹿まで殺すことは出来ません」と返した逸話は有名。。

おもちって、おもちろいなあ

夏侯玄諸葛誕廬毓らが名声を誇って互いに格付けし合い、「四聡八達」などと名乗ると、曹叡はこれを「名声など絵に描いた餅のような物だ」と言って嫌い、全員罷免した。

この故事が「画餅」という言葉のもとになった。

名君のようで・・・

234年、司馬懿諸葛亮による北伐に当たっている間、呉がの同盟国として魏に攻め込んできたときは、自ら軍を率いて迎え撃つと出征し、満寵からの「合肥を放棄して寿春で戦う」という報告に対し「合肥の守りは堅いから合肥で戦いなさい」と命じ、すると曹叡が戦地に到着する前に合肥で敵は撤退した。

238年、遼東公孫淵燕王を自称して叛乱を起こした。曹叡は家臣たちの反対を押し切って司馬懿に命じて討伐を敢行し、成功した。

公孫野郎がいなくなったおかげで

倭国卑弥呼が曹叡に使者を送ってきて、曹叡は下賜品と親魏倭王の金印を授けた。

しかし・・・

豪奢な宮殿の造営などを行いまくり、魏の財政が大きく傾いた。

合同けっ

兵士徴集のために兵士との結婚・子作り奨励を行う。兵士じゃない人に嫁いだ女性は、無理やり召し上げられて兵士と結婚させられた。ただ、奴隷を身代わりに出せば許すとしたので、魏国内で奴隷狩りや人身売買が異常発生。曹叡の大きな失策のひとつ。しかも容姿がよければ兵士に嫁がせるのでなく自分の後宮に入れたと言う。

後々にはね

男子は4人設けたがいずれも早世した。 後継者として養子にした太子・曹芳の後見人に曹爽をつけた。のちのち、これも大きな失敗となる。

血縁

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