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徐庶(じょしょ) - 武闘派軍師

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徐庶(じょしょ/xú shù 、生年不詳没年不詳)劉備に仕えた軍師。後に曹操の謀略により劉備のもとを去り曹操に仕えた。

概要

友人の仇討ち

豫州穎川郡の人。徐庶は若い頃剣術に優れていた。その武芸から友人に仇討ちを頼まれた。徐庶はこれを引受け仇を討った後、顔中に白い土を塗り髪を振り乱す等して狂人を装い逃亡を図ったが役人に逮捕されてしまった。役人は徐庶を尋問するが徐庶は全く口を開かなかったので、徐庶を柱に縛り付け町中の者に徐庶の身元を問うたが、誰も告げる者はいなかった。やがて徐庶は友人らの手により救出された。この事件以降、徐庶は剣術を棄て学問に励むようになった。

荊州へ移住

戦乱が拡大してくると徐庶は同郷の石韜と共に荊州へ移住し司馬徽に師事した。この時期に諸葛亮と親交を結んだ。

諸葛亮を推挙

徐庶は劉表のもとで客将として新野に駐屯していた劉備のもとへ赴き諸葛亮を推挙した。劉備が徐庶に諸葛亮を連れて来るよう頼んだが、徐庶は「諸葛亮は呼び出されて来るような人物では無い。」と言った。劉備は自ら出向き三顧の礼を尽くし、諸葛亮を招聘する事に成功した。

曹操のもとへ

その後、徐庶の母が曹操により捕えられてしまう。この為、徐庶は劉備のもとを去り曹操のもとへ入った。それ以後は没すまでに仕えたが目立った活躍は無い。諸葛亮の死去と同時期に死去した。

逸話

諸葛亮が惜しんだ才

徐庶がに仕えるようになった後、徐庶の官職を聞いた諸葛亮はその低さに驚き「徐庶ほどの人物を用いぬとは魏は何と人材の豊かなことよ。」と感想を漏らした。

元の名は福

徐庶のもともとの名は徐福であったが、晩年徐庶と改名した。

三国志演義では

単福

友人の仇討ちの後、名を単福と改めていた。

曹仁を二度打ち破る

新野にいた劉備と出会った徐庶は軍師として迎えられた。そこへ曹仁李典が来襲する。徐庶は関羽張飛趙雲等を指揮し曹仁を打ち破った。その後、再度曹仁・李典が大軍を率い来襲するが徐庶は八門金鎖の陣を看破し曹仁軍を撃破した。

母を死なせる

三国志演義では程昱が徐庶の母の筆跡を真似て書いた手紙を徐庶へ送る。その手紙は母のもとへ来て曹操に仕えるように薦める内容だった。筆跡を見て母からの手紙だと信じた徐庶は、劉備のもとを去り曹操のもとへ向かった。劉備との別れ際に諸葛亮を推挙した。母と再会した徐庶だったが、事の真相を聞いた徐庶の母は憤怒し、自ら命を絶ってしまった。

赤壁の災いを避ける

徐庶は赤壁の戦いにも従軍している。龐統連環の計を見抜いた徐庶は龐統へ自身への危険を回避する方法は無いかと尋ねた。龐統は涼州馬騰が反乱を起こすという風聞を流し、それに対する防備にあたる為という理由を付け北方へ戻れば良いと策を授けた。徐庶は龐統の策を実行し無事難を逃れた。

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