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張温(ちょうおん) - 「なんも言えねぇ!」

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張温(呉)ちょうおん193年没年不詳)、字は恵恕。の将。父は張允

概要

呉の四姓

呉の四姓であるところの張氏の家柄。張昭の家系とは別。

孫権に仕える

孫権は張允の死後、子に張温がありその評判を聞いたので、家臣にどんな人物か尋ねると、劉基全琮と肩を並べると答え、顧雍は張温に匹敵する人物は今の世に求められないと答えた。そこで召し出してみると、本当にに見事な人物だった。張昭は張温の手を取って「この老いぼれがあなたに気持ちを託していることをよく覚えていただきたい」とまで言った。こうして孫権に召抱えられた。

誰にも好かれる

に使者として赴くと、蜀の人士も張温の人となりを賞賛した。

ただし孫権以外

しかし張温は蜀から帰ると、諸葛亮の政治を褒め称えていたと言う。そしてあまりにも張温が国内外で人望を集めたことから、孫権に疎まれてしまった。

言いがかりだよ

あるとき張温は曁艶という者を推挙したが、そうして昇進した曁艶は、その後あまりにも厳しく人事を行い、人から恨まれて自害に追い込まれた。張温は孫権からこの事件の責任を問われて幽閉された上、幽閉を解かれた後も下人のような身分にまで降格された。

張温(後漢)ちょうおん生年不詳191年)、字は伯慎。後漢朝で司空太尉にまでなった。彼を推挙したのは曹操の父である曹騰だったという。

概要

羌の叛乱を討伐

北宮玉韓遂辺章らによる叛乱のときは、董卓孫堅陶謙らを率いて討伐に向かった。このとき董卓から「叛乱と戦わなくても、漢帝国の叛乱の素である宦官を斬って叛乱を治めればよい」と進言されたが、怖くてできなかった。軍令に従わない董卓を孫堅が「処罰すべし」と言ったときも、怖くてできなかった。

董卓と敵対

張温は宦官と関係を持っていた上に前記の事件等があったので、宦官嫌いの董卓に嫌われた。そして董卓が都で権力を持つと、袁術との密通を咎められてたたき殺された。

三国志演義では

無残に

三国志演義では、孫堅が戦死すると董卓はそれを喜び酒宴を催すが、そこに出席していた張温を呂布に命じて打ち首にし、その首を皿の上に乗せて皆に披露したという。この残虐な振る舞いが、張温と仲のよかった王允美女連環の計を発動させるきっかけとなった。

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