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孫皓(そんこう) - 呉の独裁者

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孫皓そんこう242年284年)字は元宗。の第四代皇帝でラストエンペラー。父は孫権の子で太子廃立された孫和

概要

人物

知勇兼備で聡明な一面と、配下や宮女に残虐な行いをする暴君の一面を併せ持つ。

名君?

三代皇帝・孫休が崩御し、その跡を継いだ。 孫休には子があり、皇太子に指名されていたのだが、政治嫌いの孫休に代わって朝政を取り仕切っていた張布が「若すぎる」と言ってその子の即位に反対したため、孫休の甥である孫皓が皇帝に即位した。

当初は、知勇兼備の人物と臣下の期待も厚かった。

まず孫皓は、太子廃立された父・孫和の名誉回復に努め、父を祭る祭祀を大々的に行い、それにともなう政府の食料開放により貧民救済を行った。

また、呉に反乱しに帰順した交趾を外交により奪還、再び領有することに成功している。

いや、暴君

一方で孫皓は、臣下に対して刑罰を乱発し、あるときは大量の酒で家臣を酩酊させ、その状態で少しでも失言があれば処罰した。 また、後宮に何千もの女性を入侍させ、意にそぐわない宮女は殺害して川に捨てていた。 人の顔の皮を剥ぐなど、ありとあらゆる拷問も好んだ。

呉の滅亡

蜀が滅亡し、魏でも西晋が誕生しても、呉は陸凱陸抗をはじめとする陸遜の末裔に支えられていた。 しかし、孫皓の臣下に対する暴虐により呉に反旗を翻す者が増え、さらに陸抗が死去すると一挙に兵たちまでもが西晋に投降した。

これで晋の軍勢に一気に建業まで迫られ、280年に晋の王濬に建業を陥落され、孫皓は降伏。呉は滅亡した。

その後

孫皓は家臣たちに、呉滅亡の責任の一切は自分が負うから、晋に仕官し才能を発揮するようにという書簡を送っている。 孫皓自身は帰命侯に封じられ、劉禅と同じく晋で天寿を全うした。しかし孫皓の子たちは、反乱の首謀者となったり、晋の滅亡のきっかけとなった八王の乱にかかわったりしている。

司馬炎が孫皓に「南の人は、『お前』という言葉を用いた詩を作るのが好きだというが、卿も作れるかね」と問うたところ「昔はお前と隣同士 今はお前の家来だ お前に一献進ぜよう お前の長寿を祝うため」と詠い、司馬炎は「してやられた」と後悔した。

孫皓の前で司馬炎(賈充という説も)が、その娘婿の王済と碁を打ちながら「なぜ人の顔の皮を剥いだのかね?」と尋ねると、王済が碁盤の下で足を投げ出して座っているのを見て、すかさず「主君に無礼を働く者あれば剥ぐのです」と答えたので、恥じ入った王済が足を引っ込めた。

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