呂範(りょはん)、字は
子衡。徐南細陽の人。
概要
呉書、朱治朱然呂範朱桓伝に「有容観姿貌」とあり、男前であった様子がうかがえる。
若くして県吏となり、邑人である劉氏の娘を妻に娶る。
その後、乱を避けて壽春に赴いたところ
孫策と出会い、私客100人(食客100人の意?)と共に孫策配下となった。
孫策に従って、盧江、横江、当利にて
張英・
于麋を破り、小丹楊、湖孰を治める。
また、丹楊の賊を破って都督となる。
孫策亡き後、208年には
周瑜に従って赤壁に赴き、裨将軍を拝命。
賀斉と並ぶ呉の絢爛豪華人。
しかし謹厳実直な勤務態度であったため、孫権はその奢侈を咎めなかった。
孫策在世の頃には主計を担当したが、
孫権が小遣いを求めても、その要求には答えなかった。
孫策に囲碁で勝った公式記録を持っている。
ただし、現存する棋譜を以ってふたりの囲碁の手を再現することは難しい。
(おそらく欠けたところがある或いは伝聞による棋譜である等の障害があると思われ、実際に打たれた囲碁の手としては、非常に不明瞭な部分が多々ある。また、手を再現しているうちに、白の孫策の手が停まっているのか、黒の呂範マジックがなにか炸裂しているのか、白と黒の手番が逆になる等の障壁がある)