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劉勲(りゅうくん)

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劉勲りゅうくん/liúxūn、生年不詳没年不詳子台袁術の将。のち、曹操に仕えた。

概要

袁術軍を継ぐ

県長だったが、袁術に廬江郡の太守に任じられ、以後袁術に従う。

袁術が曹操らに敗れ、敗走中に亡くなると、劉勲は残党を連れて落ち延びる張勲を攻撃し、張勲を捕らえて旧袁術軍を吸収することに成功した。

さらに袁術の遺族たちが頼ってきたのでこれを保護した。

大兵力なら良いというものではない

鄭宝揚州に一大勢力を築いていたが、後漢朝の皇族であった劉曄がその身を寄せていたところ、鄭宝が江南に本拠を築こうとしたので、劉曄はこれを認めず、酒宴の際に鄭宝を切り捨てた。

劉曄は鄭宝の軍を得たがこれを率いる気などなく、劉勲にこの軍を委譲してしまった。

元袁術軍とあわせて鄭宝の軍まで配下とした劉勲は、大兵力を擁することになったものの、これを維持する兵糧がなく、困窮してしまった。

孫策に敗れる

劉勲が兵糧調達のために出兵し、軍を引き連れ奔走していると、この隙を見て孫策が劉勲の本拠としていた皖城を攻め取ってしまった。

さらにその後孫策と対戦するも、敗れて兵を奪われ、袁術の遺族らは孫策に捕らえられた。劉勲は劉曄らと共に落ち延びた。

曹操に仕える・・・

劉勲は曹操のもとに身を寄せ、配下として仕えたが、曹操に重用されたのをいいことに態度が放漫になり、他人を誹謗するようになった。劉勲の配下は平気で法を犯し、劉勲は司馬芝に「大目に見ろ」と言っていたという。そこで李申成が劉勲の悪行を告発し、罪に問われて曹操に処刑された。

不気味な余談

劉勲の娘は7~8年にもわたり痒みを伴う腫れ物に悩まされていたが、華佗はこれを診断し、赤犬を連れてきて馬にその首を引っ張らせるという謎の行動に出る。

馬に死ぬほど首を引っ張られた赤犬を劉勲の娘の患部に近づけると、三尺ほどの蛇が出てきて、娘は治ったという。

よくわからない余談

劉勲は杜畿に「大きな棗を俺にくれ」と所望したが、拒絶されたことがあるという。

血縁

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