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閻圃(えんほ)

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閻圃えんほ生年不詳没年不詳)。巴西郡安漢の人。漢中を支配していた五斗米道の教祖・張魯軍師

概要

張魯に数々の進言

漢中の住人が地中から玉印を掘り当てて張魯に献上した。そこで臣下たちは張魯を漢寧王に推し立てようとしたが、閻圃は「この漢中において、漢水一帯に民衆は十万戸もあり、四方は堅固で、財産豊かにして土地も肥えておるので、最善なら天子をお助けでき、次善でも富貴を失うことはございません。しかし勅命と称して任免など行えば、斬首の憂き目にあっても仕方ありません。あわてて王号を称すれば先々の禍根となりますぞ」と諫めた。張魯はこれを聞き入れ漢寧王には就かなかった。

215年(建安20年)、漢中は曹操の大軍に攻められた。そして陽平が陥落すると、張魯は曹操軍に降服しようとした。しかし閻圃は「いま追いつめられたからと言って出ていけば功績を軽んじられます。巴郡に楯籠って、そのあと礼物をお贈りなされば、功績は多大に評価されるでしょう」と進言した。張魯はその通りに巴郡に退却した。その際に張魯は財宝を焼き払わずに蔵に封をして手をつけずに置いた。

曹操はおかげで財宝を手にすることができたので、張魯の降伏を受け入れて官位を与えたと同時に、閻圃をも高く評価して列侯に封じ、馬超の妾であった董氏を与えた。

魏の重臣となる

張魯は曹操に帰順してのち翌年に死去しているが、閻圃は曹操の死後曹丕からも重用され、帝位に就いた曹丕は閻圃を手厚い礼をもって宮中に招いた。

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