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趙雲(ちょううん) - 永遠の若大将

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趙雲(ちょううん/zhào yún 、生年不詳229年)子龍劉備配下の武将で五虎大将軍の一人。

概要

劉備に仕えるまで 

冀州常山郡真定県の人。当初、公孫瓚の配下となる。公孫瓚は袁紹と争っていた。田楷が袁紹に攻められた際に、その時公孫瓚のもとにいた劉備に従い救援に向かった。その後、兄の喪に服す事を理由に公孫瓚の元を去る。その後、劉備が曹操に追われ袁紹のもとにいた際に趙雲は劉備のもとに赴き仕える事になった。この際趙雲は袁紹の目を盗み劉備の為に募兵を行った。

劉禅を救う

208年、袁紹は滅び趙雲は劉備と共に劉表のもとにいた。劉表死去後、曹操が大軍勢を率い荊州へ南下してきた。劉備は自軍や家族・領民を引連れ逃亡していたが、長坂まで追撃されると劉備は家族を棄て逃げ去った。趙雲は残された劉備の家族を救出すべく、引き返した。その姿を見たものが劉備に趙雲が寝返ったと讒言したが、劉備は取り合わなかった。やがて趙雲は息子阿斗(後の劉禅)を抱き救出したが、劉備の妻甘夫人は邪魔になるといって自害した。

真の武人

赤壁の戦いの後、劉備による荊州の南部四郡の侵攻の際には、趙範に代わり趙雲は桂陽太守となる。趙範は兄嫁であり未亡人であった樊氏を趙雲に嫁がせようとしたが、趙雲は趙範が降伏し日が浅い事もあり信用に足る人物では無いと判断し、とうとう樊氏を娶る事は無かった。その後趙範はへと逃亡した。

五虎大将軍として

劉備の入蜀の際には、趙雲は孫夫人より連れて来た兵士達が領内で不法行為も行っていた事もあり、荊州の防備を任されていた。諸葛亮が蜀へ向かうとこれに随行し、二手に分かれ成都へと迫り攻略した。

227年、諸葛亮による第一次北伐の際には、諸葛亮の命を受け鄧芝を従えて曹真の大軍を斜谷道において防ぐが、敵わず敗北した。しかし大敗する事はなかった、これは「趙雲が殿に行き軍を防いだ為である。」と、鄧芝は諸葛亮に問われた際答えた。229年死去。

容貌 

身の丈は八尺で、たいそう立派な容貌だったらしい。

血縁

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