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貂蝉(ちょうせん)

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貂蝉ちょうせん174年頃~没年不詳)、字不詳。王允の娘(血のつながりは無く、養女ということなっている)で董卓の妾になる。三国志演義に登場する。

概要

ミス・ユニバース・チャイナ

楊貴妃西施王昭君と並んで古代中国四大美人の一人といわれるすごい美女。

実在性

貂蝉は正史や他の歴史書にはその名の記述は無く、三国志演義に登場する人物である。だからと言って必ずしも架空の人物とは言い切れないのが三国志の面白さだが、貂蝉の場合は正史に美女連環の計の基となった記述がありモデルと思われる人物がいるので、三国志演義に登場する貂蝉はアレンジ創作された人物と見てほぼ間違いない。

ただ三国志を語る上で欠かせない人物であり、また当たり前のように実在したことを前提に語られる人物。存在とは絶対的に存在する物とは別に、それを観測する第三者が「存在する」と思えばその人の中では存在するし、「存在しない」と思えばたとえ実在しても意味を成さない。サンタクロースと同じで、「存在する」と思う人が多いのなら本当に存在するのではないだろうか。なんのこっちゃ。

美女連環の計

董卓の専横政治に憤っていた王允は、董卓の暗殺を謀り、美女連環の計を発動する。

王允はまず武力に秀でた英雄呂布に目を付け、超絶に美しい十六歳の貂蝉に謁見させた。案の定呂布は貂蝉を見初め、王允はそんな呂布に「よろしければこの娘を娶ってもらえますか」などという。当然呂布は喜んで承諾した。

しかし後日、王允は貂蝉を董卓に献上してしまった。董卓も貂蝉の美貌を見て喜び、妾とした。それを聞いた呂布は怒って王允に詰め寄ったが、王允は「董卓閣下が婚礼を祝ってよき日を選び、自ら貂蝉を呂布殿に引き渡すとのことです」と呂布を言いくるめた。

ところが今度は貂蝉が呂布に会いに来て「董卓様は無理やり私を後宮に入れてしまいました。私は呂布様と共に居たいです」と言った。その後もたびたび呂布と貂蝉は密会した。

董卓も呂布と貂蝉が密会していると聞いて怒ったが、李儒がこれをなだめ、貂蝉を呂布の元に送るように進言した。董卓はいったん従おうとしたが、貂蝉に「呂布のような乱暴者の所に行きたくない」と言われて気が変わり、貂蝉を囲い続けた。

とうとう呂布は貂蝉恋しさに董卓を襲い、切り殺してしまった。

貂蝉の死

三国志演義は古い小説であり、現代に伝わるまでに様々な系統に枝分かれしている。中でも美女連環の計を成立させた後の貂蝉の末路についてはそれぞれ多種多様である。

事の真相を知った呂布に切り殺されたとか。

自らの天命を全うしたと悟り井戸に身を投げたとか。

董卓子飼いの残党たちに襲われかけて自害したとか。

呂布と行動を共にし放浪したとか。(この説においては民間伝説に続きがあり、呂布が曹操に敗れた後は曹操に捕らえられ、関羽も貂蝉を妻にと欲したので争いになり、結局曹操は関羽に貂蝉を譲ったなど)

史実の貂蝉

ただの侍女

呂布は董卓の侍女と密通したとき、発覚をおそれて王允に相談した。すると董卓打倒を考えていた王允は、この際呂布に董卓を討たせようと考え、殺すように進言した。呂布は従前からちょっとしたことで董卓と確執が生まれていたので、王允の言うとおり実行した。

これが美女連環の計の創作の元となったと言われる史実。すなわち貂蝉のモデルはこの「董卓の侍女」。

その他の伝説

フランケンかよ

貂蝉は実は醜女だったと言う伝説もある。美女連環の計を思いついた王允は、醜い娘の貂蝉を適任の美女に変貌させるため、華佗に依頼して整形外科手術より首を西施(古代中国の美女)のものと挿げ替えた。それでも貂蝉が計を実行する勇気が無いと嘆いていたので、次は肝を荊軻(始皇帝を暗殺しようとした刺客)のものと取り替えたという。

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