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諸葛亮の南蛮行(しょかつりょうのなんばんこう)

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諸葛亮の南蛮行しょかつりょうのなんばんこう)は、224年から225年頃にかけて、高定雍闓朱褒への叛乱に端を発し、その後孟獲南蛮全体を煽動して叛乱を継続したのを、諸葛亮が自ら軍を率いて平定したその行軍をいう。

正史その他歴史書には大筋の記載しかない(南蛮行を行ったのは諸葛亮ではなくその部下の将・張嶷だと言う説さえある)。しかし三国志演義ではさまざまな南蛮の将たちと戦う一大読み物として描かれている。フィクションの多い三国志演義でもよりファンタジックな部分である。

以下、三国志演義より(というか横山光輝・著「三国志」より)。

金環三結・董荼那・阿会喃

高定雍闓朱褒が南方で叛乱を起こし、諸葛亮がこれを鎮めると、南蛮たちは南蛮王・孟獲を立てて叛乱を継続した。そこで諸葛亮は孟獲と戦うことになった。

まず南蛮軍の先鋒として第一洞主金環三結、第二洞主・董荼那、第三洞主・阿会喃が出てきたが、金環三結のみ独断で攻め込んだ蜀の趙雲魏延と戦って趙雲と一騎打ちして戦死、董荼那・阿会喃は諸葛亮が送り出した王平張嶷張翼馬忠らに捕らえられて捕虜となったが、この二人は諸葛亮に恩義をかけられすぐに釈放された。

すると今度は孟獲軍本隊が出陣し、諸葛亮と激突。孟獲軍は牛乗り将軍・忙牙長を先陣に立てて襲い掛かったが、あっさり誘引策に引っかかり敗走。しかし待ち構えていた伏兵に捕らえられた。

諸葛亮は南蛮たちが一度鎮圧してもすぐに再び叛乱することが予想されたので、諸葛亮は南蛮が心から蜀漢を尊敬し服従するように、叛乱の首領の孟獲を解放した。何度でも戦い、そのたび捕らえては解放して蜀の力と寛大さを見せることにしたのである。

馬岱

孟獲は強大な防塞を築いて諸葛亮を迎え撃ったが、馬岱に食糧基地を襲われて忙牙長を討ちとられた上、董荼那・阿会喃が馬岱から「恩知らず将軍」とののしられて、これに恥じ入った董荼那・阿会喃が裏切って孟獲を捕らえた。

孟優

二度逃がされた孟獲は、自分を裏切った董荼那・阿会喃を殺害し、今度は降伏するフリをして弟・孟優を使者として派遣。夜襲を仕掛けるつもりだったが、その作戦を諸葛亮に看破され、孟優は痺れ薬を飲まされて「アアア」とラリるばかり。そんなことは知らずに攻め込んだ孟獲は待ち伏せにあって敗北した。

偽退

こうして孟獲が三度捕らえられ三度放たれた頃、雲南よりさらに以南、中国国外の現ミャンマーや現インドシナあたりの南蛮も集結してきた。八境九十三甸と言われる各地から軍勢が集結し、孟獲はこの兵力を持って蜀を圧倒しようとした。

しかし諸葛亮はこれに対し、陣を固めて持久戦法をとり、数日は敵に挑発させて敵が油断したところで偽りの退却をし、戦利品に目がくらんで安易に追ってきた敵に夜襲し、四度孟獲を捕らえた。

朶思大王

孟獲は弟・孟優の進言により南蛮一の知恵者である禿竜洞朶思王(朶思大王)に援助を求めた。朶思大王は、飲めば口がただれ腸が焼け落ちる唖泉、中に入ると肉が溶けたちまち骨だけになる滅泉、手足をつければ黒くなり激痛が襲う黒泉、飲んで助かったものは一人もいない柔泉の四つの毒泉の計で諸葛亮を迎え撃った。

諸葛亮は先鋒として王平を先行させ、王平から報告が無いので関索に後を追わせた。王平は多くの犠牲を出しながらも四つの毒泉を進み、関索もこれを追ったが、両群の犠牲が限度を超え、諸葛亮に助けを求めた。王平・関索と合流した諸葛亮は、住民から四つの泉の毒を治療できる万安隠者(横山三国志では単に「万安」)という者の情報を入手する。諸葛亮が万安隠者を訪ねると、万安とは孟獲の兄・孟節だった。

孟節から兵たちの治療を受けた諸葛亮は、蛮土を進み、ようやく孟獲と朶思王のいる禿竜洞にたどり着いた。朶思王はもう降伏するしかないと進言したが、孟獲は応じず、すると禿竜洞のとなりの銀冶洞から楊鋒が救援に駆けつけた。これで戦えると孟獲と朶思王は勢いづき、酒宴を開いて楊鋒の率いてきた女人部隊の舞を楽しんだ。しかしこのとき、すでに諸葛亮の策中にあり、楊鋒はすでに諸葛亮に攻められて捕らえられ懐柔されたところ、孟獲を捕らえるため派遣されたのだった。

祝融・木鹿大王

孟獲は、妻・祝融の弟である帯来の進言で木鹿王(木鹿大王)に救援依頼の使者を出しつつ、朶思王に三江城を守らせ諸葛亮を食い止めさせた。

三江城は川を堀とした要害で、さらに朶思王が毒矢を用いたため、はじめ諸葛亮は攻め倦んだが、土嚢を積んで堀を埋め、三江城を落として朶思王を討ち取った。

この孟獲軍の惨状を見るに見かねた孟獲の妻・祝融は、自ら討って出ると言い、一軍を率いて蜀軍に戦いを挑んだ。祝融は蜀軍の将軍に一騎打ちの申し出、張嶷・馬忠のような格下の将を生け捕りにし、趙雲・魏延のような猛将に対しては得意の飛刀を投げつけてその隙に退却するのだった。しかしプライドの高い性格が災いし、挑発に乗って敵を深追いし、ついには捕らえられた。そこで諸葛亮は、張嶷・馬忠と祝融の人質交換を提案し、孟獲も応じたので、各将は自陣に戻った。

そうこうしていると木鹿王のもとへ自ら救援の使者に参っていた帯来が木鹿王と共に戻ってきた。木鹿王は獅子や虎や豹、狼などといった猛獣を操る異形の軍を率い、自らも象に乗っていた。しかしもとより諸葛亮は、書物からこのような軍の存在の情報を得ていたので、あらかじめ火を吐くからくり木獣なる兵器を用意していた。これにより木鹿王の軍を蹴散らし、孟獲を捕らえた。

兀突骨

もはや兵のほぼすべてを失った孟獲は、孟優や祝融、帯来ら側近のみを連れて烏戈国兀突骨のもとに逃げ込んだ。兀突骨は藤甲軍と呼ばれる、藤の蔓を固めた軽くて強力な素材を用いた防具を身にまとった兵を率い、追撃してきた諸葛亮を迎え撃った。藤甲軍は矢も槍も通さず、しかも水に浮くほど軽いので川から攻められ、諸葛亮は苦戦した。やむなく諸葛亮は藤甲軍を隘路に引き込んで火計を敢行し、全滅させた。これまで捕らえては解放しを繰り返していた諸葛亮はこの戦いを悔やんだが、これで七度孟獲を捕らえ、やっと心底から服従させた。

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