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許褚(きょちょ)

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許褚(きょちょ/xŭ chŭ、生年不詳没年不詳)仲康曹操曹丕曹叡の三代に渡り仕えた。曹操に虎痴と呼ばれ親しまれ度々曹操の命を救った。

概要

賊との戦い

豫州国譙の人。後漢末期、世の混乱が高まり各地に賊がはびこっており、許褚は一族や若者らを集め砦に籠り賊と戦っていた。賊軍一万程が押し寄せた際、許褚は巨大な石を賊に投げつけ必死に防いだ。

やがて許褚軍の食料が不足して来たため、許褚は賊軍と和睦し牛と交換に食料を譲り受ける事にした。交換の場で牛が逃げ出したため許褚はその牛の尻尾を掴み100歩余り引きずった。この様子を見た賊は許褚の怪力に驚き牛を受け取らず逃げ帰った。

曹操のもとへ

その後、許褚は軍勢を引き連れて曹操のもとへ馳せ散じた。曹操は「我が樊噲。」と許褚を歓迎し許褚の軍勢と共に厚遇した。許褚は張繡討伐・官渡の戦いなど一連の袁紹討伐に従軍し功績を挙げた。

徐他を討つ

曹操配下の徐他らは謀叛を企んでいたが、曹操の隣には常に許褚が居たため曹操に手を出す事が出来なかった。そこで許褚が休みの日を見計らい徐他は刀剣を懐に忍ばせ曹操のもとへ向かった。

しかし許褚は普段との違和感を感じ曹操のもとへ駆け付けていた。徐他は許褚がいる事を知らずに曹操の帳へ入り許褚の姿を見て大いに驚いた。許褚はその反応を見て徐他の企みを察し直ちに徐他らを打ち殺した。曹操は益々許褚を側から離さなくなった。

馬超・韓遂討伐戦

馬超韓遂潼関において叛乱を起こし許褚はその討伐戦に従軍する。曹操軍が黄河を渡河している途中、突如馬超が兵一万程を率い来襲し曹操軍へ矢の雨を降らせた。曹操の兵達は混乱を来たし我先に船へ乗ろうとしたため許褚はこれを斬り捨てた。許褚は馬の鞍を盾にし矢を防ぎ、曹操と共に船に乗り込んだが船頭が射殺されてしまい、許褚は曹操を守りながら船を漕ぎ辛うじて馬超の凶刀から逃げ延びた。

虎候

その後、曹操は単騎で馬超・韓遂と会見する事になり、曹操は許褚だけを連れ会見に臨んだ。馬超は隙有らば曹操を斬ろうとしていたが、許褚の武威は聞き及んでいたので曹操に「今日は虎候はおられるのか?」と問うた。曹操は許褚を指差した。馬超が許褚へ視線をやると許褚は馬超の動き全てに眼を凝らし馬超の方を睨みつけていた。このため馬超は曹操を斬る事を諦め引き換えした。数日後、馬超・韓遂軍と曹操軍は決戦した。許褚もこれに参戦し首級を挙げた。馬超は大敗し西方へ逃亡していった。

曹操の死後

曹操の死に際しては許褚は大変悲しみ血を吐いて号泣しその死を悼んだ。その後も曹丕・曹叡に仕え昇進を重ね、曹叡の代に死去した。

逸話

虎痴

曹仁が曹操に拝謁するため曹操の宮殿へ向かっていた際、宮殿の外で許褚を見かけたので曹操が来るまで中に入って雑談しようとしたが、許褚はそれを断り去ってしまった。後に「曹仁殿は曹操殿の一族であり重臣です。その曹仁殿のお誘いをどうして無下にしたのですか?」と問われた許褚は「曹仁殿は重臣というよりは諸侯の一人です。私は曹操殿の直臣です。私的な交際を結べるわけがあり

ません。」と答えた。曹操はこの事を聞き許褚の清廉な姿勢に感心した。

容貌

正史に八尺余あったとされる。

三国志演義では

曹操との出会い

曹操は黄巾賊の残党を討伐していた。典韋何儀を戦っていたところに、突然許褚が現れ何儀を捕え連れ去ろうとした。典韋はそれを見つけ何儀を渡すよう告げたが許褚が拒否したため二人は討ち合いになった。その様子を見た曹操は典韋と互角に戦っている許褚を臣下にと欲し、典韋に撤退させ罠を仕掛け許褚を捕えた。曹操は引き出されて来た許褚が乱暴な扱いを受けてるのを見て「誰がこのような扱いをしろと命じたのだ。」と怒り許褚に非礼を詫び、許褚に旗下に加わるよう言った。許褚はこれを容れ曹操に仕える事となった。

蒼天航路では

曹操との出会い

蒼天航路で許褚は幼少時代に曹操と一度出会い賊討伐に参加した。その後一度分かれたが、後に戦場で許褚と再会し曹操に仕える事となった。

血縁

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統率力138

武力5

知力220

政治力229

魅力150