My三国志百科事典

My三国志を楽しもう!My三国志はじめてガイド

袁渙(えんかん)

本文 編集 画像登録 ノート 履歴
袁渙えんかん生年不詳没年不詳)、曜卿司徒袁滂の子。劉備袁術呂布と仕えた後、曹操の重臣となった。

概要

乱世に翻弄されてます

若い頃から地方官として卑しい官仕を追放して手腕を発揮していたという。

徐州を治め豫州刺史に任じられたときの劉備に見出され、仕えた。しかし、(おそらくは劉備が呂布と交戦したときに、)他国に避難し、そこで袁術に仕えた。袁術から重用されたが、袁術が呂布と交戦して敗戦したときに、呂布の捕虜となり、そのまま呂布に仕えた。

呂布をも圧倒

呂布から「劉備を貶める文書を書け」と命じられたが、袁渙は頑として断り、ついに「書かなければ殺す」と言われても、堂々と「人が他人を辱めるのは文書ではなく、その人の徳が高ければ対立する者が辱められるのです。劉備に徳あれば文書など無駄であるし、徳なければさらに文書で反撃してくるだけでしょう。私は劉備に仕えておったときと同じ気持ちで呂布将軍に仕えております。私が劉備の臣としてあなたを辱める文章を書いたとしたら、あなたはどう思うでしょうね。」などと答えた。呂布は恥じ入って命を取り下げた。

曹操に仕える

呂布が曹操に滅ぼされると、袁渙は曹操に仕えた。このとき、投降した呂布配下は皆曹操に平伏したのに、袁渙は対等の挨拶をして出迎えたという。さらに、曹操は呂布軍からの戦利品を投降者にも分配したが、皆が車いっぱいに詰め込んだのに対し、袁渙は書物数百巻のみ引き取った。皆感心したが、本人は「食料や軍需品など、取ってもまた後で軍に取り上げられるだけじゃねーの?と思っただけ。」と冷めた感じだったという。しかしこれによって曹操まで袁渙を高く評価した。

曹操臣下として重職を歴任すると、民衆の心をつかむ献策を行い、曹操の領内統治に貢献している。

劉備が死んだという誤報がもたらされたとき、皆喝采したが、袁渙はかつてわずかの期間劉備に仕えていたので、義理堅くも報を喜ばなかった。

王に就任した曹操に祝辞を述べてたいへん喜ばれている。また、袁渙が病死すると曹操は泣いてその死を悼んだという。

血縁

関連カテゴリ

曹操

関連記事

スポンサードリンク

関連URL

袁渙のイラスト

イラストを投稿する

袁渙の能力 評価する 皆の評価

ブログパーツURL [?]

関連商品