My三国志百科事典

My三国志を楽しもう!My三国志はじめてガイド

本文 編集 画像登録 ノート 履歴
董卓(とうたく/dŏng zhuó、生年不詳192年5月22日)仲穎。混乱の中、廃帝弁を廃し献帝を擁立し権勢を奮うが、養子にした呂布により誅殺された。

概要

黄巾賊討伐に失敗

西北部のと交流を深め、張奐に従軍し、異民族を討伐し功績を上げる。その後黄巾の乱が全国で勃発し董卓も討伐に繰り出すが敗退し、184年罷免されてしまうが、馬騰韓遂辺章らが西涼で起こした反乱を鎮圧し、その功により再び黄巾賊討伐を命じられる。

しかし董卓は精彩を欠き、皇甫崇へと兵馬を引き渡し帰還するように命じられるが、董卓は頑なにそれを拒否し、并州に居座り続ける。

中央進出

189年霊帝が崩御すると、何進十常侍により跡目争いが始まり、何進より董卓を含む全国の群雄へと宦官誅殺の為洛陽に集結するように通達した。しかし何進が暗殺されると、袁紹は弔い合戦と称して宮廷内に軍を進め、宮中は大混乱となる。

呂布を得る

混乱の中宦官の段珪が廃帝弁と弟の陳留王(後の献帝)を連れ洛陽を脱出するが、丁度洛陽へと向かっていた董卓に発見され廃帝弁、陳留王を奪取される。董卓は廃帝弁、陳留王と共に洛陽へと入城し一気に権力を我が物とする。丁原を呂布に暗殺させた後、呂布を養子として自軍に迎え入れる。

そして、廃帝弁を弘農王にへと降格させ、その生母何皇后(何進の妹)を殺害し、陳留王であった劉協を皇帝として擁立する。

暗殺

朝廷を我が物とした董卓は専横を極め、首都洛陽は荒廃する。事態を見かねた橋瑁(三国志演義では曹操)の呼びかけにより反董卓連合軍を結成し洛陽へと迫る。董卓は洛陽の歴代皇帝の墓を暴き火を放って長安へ遷都した。反董卓連合軍は洛陽へ入城した後は董卓を追撃せず解散する。

長安入城後も変わらず暴政をしいた。やがて事態を見かねた王允と呂布により192年暗殺され、董卓の一族は皆殺しにされた。

逸話

村民虐殺

陽城へと出かけた董卓は、たまたま、祭りを行っていたので労働していない民衆を見て怒り、村民を皆殺しにした。

三国志演義では

貂蝉

王允の養女貂蝉を巡って呂布と恋敵になり、呂布に暗殺されたとなっている。実際に董卓の侍女に手を出した呂布が、事の発覚を恐れ暗殺したとの記述もある。

血縁

関連カテゴリ

君主 司空 前将軍 董卓

関連記事

スポンサードリンク

関連URL

董卓のイラスト

董卓
平均評価アベレージ
董卓のイラスト一覧

董卓の能力 評価する 皆の評価

ブログパーツURL [?]

董卓のタグ