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荀攸(じゅんゆう)

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荀攸じゅんゆう/xún yōu、157年214年年)公達荀彧より6歳年上の甥で曹操に仕えた軍師

概要

董卓暗殺を画策

豫州潁川郡穎陰の人。何進朝廷の実権を握った頃出仕した。やがて何進が宦官に暗殺され、次に董卓が実権を握り専横を振るった。荀攸は同志を募り董卓の暗殺を画策したが、董卓に計画が漏れてしまい荀攸は投獄されてしまう。しかし董卓が王允呂布によって暗殺されたため荀攸は赦免された。復職した荀攸は太守を希望し任命された。しかし蜀への道が途絶えていたため赴任地に赴く事が出来ず荊州に留まっていた。

曹操に仕える

献帝を奉じ許昌に都を構えた曹操が荀攸へ書状を送り招聘した。荀攸はこれに応じ、以後曹操へ仕える事となった。

大水計

198年、曹操の呂布討伐戦に荀攸は従軍する。呂布下邳城へ追い詰める事には成功したものの、攻めあぐめ曹操は撤退を考えだす。荀攸は郭嘉と共にこれに反対し、沂水泗水の水を用い水計によって攻め落とす策を進言した。曹操はこれを聞き入れ撤退を取りやめ水計を実行し、呂布を討った。

顔良・文醜を討つ

200年白馬の戦いにおいて荀攸は圧倒的多数を誇る袁紹に対して「兵を分散させ各個撃破すべし。」とし陽動作戦を展開し関羽顔良を討ち散らせた。また、文醜も陽動によって兵を割かれ徐晃・荀攸の攻撃に遭い戦死した。

袁家掃討戦

官渡の戦いの後、袁紹は病死しその息子袁譚袁尚による跡目争いが始まった。「袁家には既に力無く、先に荊州の劉表を討伐すべし。」と曹操に進言する者があったが、荀攸はこれに反対し「劉表は中原に進出する意思も力もありません。袁譚・袁尚が和睦すれば河北にまた一大勢力が出来上がれます。今彼等が争っている内に討ちべきです。」と進言した。曹操はこれを聞き入れ北方へ侵攻し河北を我が物とした。

214年、曹操の孫権討伐に従軍している際に病死した。享年58歳であった。

逸話

曹操が賞賛

曹操は太子曹丕へ常々「荀攸は人の手本となる人物である。」と言い礼を持って接するよう言い聞かせていた。

未完の著作

鍾繇は荀攸の策を記した著作集を編集していたが、途中で鍾繇が死去してしまったため完成には至らなかった。

三国志演義では

関羽に手柄を奪われる

演義において文醜は関羽に一刀のもとに斬り捨てられたとなっており、荀攸は関係していない。

魏王の即位に反対

王粲らによる王擁立計画を聞いた荀攸は曹操へこれを考え直すよう進言したが聞き入れられず憤死した。

血縁

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