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王昶(おうちょう)

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王昶おうちょう生年不詳259年)、字は文舒。王沢の子、王渾の父。からの家臣。

概要

呉の隙を突く

はじめ農政官をしていたが、曹叡の代に将軍となり、司馬懿に見出されて対戦線に赴任。 王昶は二宮事件で呉が混乱しているのを見ると、250年に、呉への侵攻を提案。これが採用されて、州泰王基と共に呉に攻め込んだ。 王昶は呉の朱績を撃破する活躍を見せたが、撃破呉の陸凱らが守りに徹して魏軍を防いだので撤退を余儀なくされた。

252年に孫権が他界すると、再び王昶は胡遵毌丘倹諸葛誕らと共に呉に攻め込んだ。 しかし今度は、呉ではこの攻撃をある程度予測しており、諸葛恪を大将として出陣すると、丁奉を先鋒として速攻で奇襲させた。 これにより胡遵が打ち破られたため王昶らは撤退した。(諸葛恪はこの戦勝により呉の丞相にまで出世したが、調子に乗って魏に攻め込んで敗北して暗殺された)

その後王昶は、毌丘倹の叛乱、および諸葛誕の叛乱の鎮圧などでも活躍した。

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