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王必(おうひつ)

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王必おうひつ生年不詳218年)、字不詳。曹操の部下。

概要

長安で

王必は古くからの曹操の家来で、李傕郭汜が専横する長安に使者として赴いたことがある。そのときは李傕・郭汜が曹操の内心を疑い王必を拘束してしまったが、鍾繇が諫めてなんとか李傕・郭汜は曹操に普通に応対するようになった。

呂布に

曹操がついに呂布を捕らえたとき、呂布を家臣に取り立てようか迷ったことは有名だが、とりあえず呂布の縄目を解こうとすると、王必が走り出て「いけません。呂布は強力な賊で、彼の軍勢はすぐ近くにもいます」と言って止めた。

謀叛が

あるとき王必は曹操自らによって、「王必は古くから仕え、まじめによく働いた。よってしかるべき地位を与える」と言って取り立てられた。 しかしそのすぐ後、、曹操の専横政治に対し憤っていた耿紀韋晃吉本らが、献帝の権威を取り戻そうと、曹操への謀叛を計画した。吉本は息子の吉邈吉穆を連れて参加した。曹操がに赴くため、その間王必が都・許の留守を守ることになったので、王必を襲い、献帝を奪い奉戴して荊州関羽に合流する計画であった。

そこで耿紀・韋晃・吉本らは、王必と親しかった金禕を味方に引き込み、王必が油断することを狙って彼を起用し、屋敷に放火させ王必を襲わせた。王必はそんなことは知らずに、突然火事になって弓で射られたため屋敷から避難し、その金禕の家に逃げ込もうとした。王必が金禕の名を呼ぶと、金禕の家人たちは叛乱の首謀者たちが帰ってきたと勘違いし、「王必はもう殺せたか?」と聞いてきた。そこで金禕が叛乱の一味であることを知り、王必はさらに逃げて厳匡の救援を仰いだ。耿紀たちは王必と厳匡に討伐されたが、王必も矢を受けて死亡した。

そのあと

曹操が鄴から帰ってくると、王必の死をたいへん悲しんだ。そして叛乱に加担した容疑者を集め、「火災が起こったとき消火を手助けしたものは左へ、手助けしなかったものは右へ移動しろ」と言った。ほとんどの者は、消火を手伝ったと言えば無罪だろうと思い、左へ移動した。ところが曹操は、「謀反人でないものがこの状況で消火などできるはずが無かろう。消火作業など行ったものは謀反人に違いない」と言って左に移動したものを皆殺しにした。

三国志演義では

趣味はお酒を少々

曹操が長年使えた功績で守備隊長に抜擢したとき、王必は酒に弱いから不向きなのではと指摘されていた。韋晃らの叛乱が起こったとき、王必は酒を絶ってまじめに勤務していたのだが、従前の王必の評から、韋晃らも王必が許を守る今が機とみて叛乱を起こした。

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