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王凌(おうりょう)

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王凌おうりょう172年251年)、字は彦雲。父は王允の弟。また、妹が郭淮に嫁いでいる。の臣。

概要

仕官

伯父の王允が李傕郭汜に襲われたときは、城壁を飛び越えて逃げ、命が助かった。その後、事件を起こして髠刑に処されて道路掃除をさせられているとき、曹操の目に留まり、王允の甥だとわかると取り立てられた。

地方統治に優れた手腕を発揮し、州刺史を歴任して絶賛された。

また張遼らと共に軍と戦ったことがあった。すると呉の呂範の軍艦が夜中に台風で押し流されてきた。王凌はこのおいしいチャンスを逃さず手柄を立てた。

だまされる

呉の孫布の偽降にだまされて兵の半分を失った。王凌は普段から満寵と不仲で、満寵が「この投降は偽りだ」といったため意地を張って孫布の投降を認めたといわれる。

クーデター画策

曹芳の代のとき、王凌は幼い曹芳では魏はもたないと考え、また曹爽らをを滅ぼした司馬懿の専断を警戒して、甥の令孤愚と共に曹彪を立て、曹芳の廃位をたくらんだ。しかし司馬懿に露見したため降伏。王凌は護送される途中、賈逵の廟(墓とは別の、先祖を祭ったもの)の前で「賈逵殿、この王凌はもとより魏の社稷に忠実な者です。いま神として祭られたあなたならご存知のはずです」と叫びながら服毒して自害した。

郭淮の妻となっていた王凌の妹は、王凌に連座して処刑されかけたが、郭統らその子供たちが、郭淮に母を助けてくれるよう頼んだ。そして子供たちと配下の武将たち、それに領土の数千人までもが王凌の妹の救出のために出陣し、郭淮はこれを止めることができなかった。子供たちは母を取り戻し、郭淮が「私が責任を取って罰を受ける」と言ったので、司馬懿は郭淮を許した。(郭統ら子供たちが号泣かつ地面に頭を打ち付け流血しながら助命嘆願し、これを見た郭淮は、司馬懿に「この子たちは母が処刑されれば後を追って死ぬでしょう。そうなって5人も息子に死なれたら私も後を追うでしょう。」と訴えた。そのため王凌の妹だけは許されたという説もある。)

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