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橋玄(きょうげん)

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橋玄きょうげん生年不詳没年不詳)字は公祖。一説には大橋小橋の父、したがって孫策周瑜の舅(通説ではない)。一説には橋瑁の弟または親類。後漢朝の重臣(大尉)。

概要

人物評ができた(のか?)

橋玄の人物鑑定は有名で、若い頃の曹操も橋玄のもとを訪れている。そこで橋玄は「天下は乱世になろうとしている。一世を風靡する才能が必要だ。よく乱世を鎮められるのは、君のような人だ」と言った。おかげで、不良で名を馳せ、ろくでなし扱いされていた曹操は一変、世間で期待の星となった。これに曹操はそうとう感激したらしく、後年、橋玄を祀って「橋玄の激励のおかげで名声を得ることが出来た。」という感謝の気持ちを述べた。

異説では、「君はは治世なら大悪党だが乱世なら英雄になるだろう。これから来る乱世を静められるのは君だけだ。自分がもう老いていて、君の行く末を見られないのが残念だが、妻子を君によろしく頼みたいものだ」と言った。

さらに異説では、橋玄は曹操の才能を認め、「許子将許邵)とよしみを結ぶとよい」と言って許邵を紹介した。そこで曹操は許邵のもとを訪れ、有名な「君は治世の能臣、乱世の奸雄だ」の評を受けた。「清平の姦賊、乱世の英雄」などとも。

三国志演義では

出てこない

「治世の能臣、乱世の姦雄」という言葉の発祥に橋玄は絡んでいない。つまり上記三番目の説の前段を消してしまったものに近い。

二喬の父・・・でもない

大橋・小橋は三国志演義では大喬小喬となっている。よって正史の橋姓は演義では喬と記されていると考えてよい。

では、三国志演義で大喬・小喬の父は喬玄となっているので、この喬玄=橋玄と考えてよいだろうか。

正史では大橋・小橋の父は橋公となっている。橋公とはおそらく橋某に公という敬称をつけたものと思われるが、橋玄とは別人と考えられている。なぜなら、橋公(=演義の喬玄)はの大老であり、橋玄とはぜんぜん立場が違うから。

橋玄(正史)≠喬玄(三国志演義)=橋公(正史)

ただし、三国志演義で、大喬・小喬および喬瑁まで喬玄の子とすることもある。

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