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楊竺(ようじく)

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楊竺ようじく生年不詳250年頃)、不詳。の重臣。

概要

吾粲を謀殺

二宮事件では、楊竺は全琮らとともに孫覇派の中心として動いた。 孫和派の吾粲が「嫡子と庶子の区別は明確にすべし」と上奏し、ついでに「楊竺を追放すべし」と進言したため、楊竺は対抗して孫権に吾粲に関する讒言を行い、吾粲を処刑させた。

陸遜まで犠牲に

楊竺は孫覇派の重臣らと共に孫権と密談し、孫覇を太子とすることを決心させることに成功。

しかしこれが孫和に漏れ、孫和は陸胤を通じて陸遜に「決定をやめるよう孫権に進言してほしい」と頼んだ。 陸遜はこれを受け、孫権に、「嫡子と庶子の区別は明確にすべし」と何度も孫和を擁護する上奏を行った。

すると楊竺これに対し、孫権に陸遜に関する讒言を行い、20もの疑惑事項を告発した。 孫権は陸遜を疑うようになり、問責の使者を何度も送ったという(呉録によれば、密談の内容がどこから孫和に漏れたのか調べるために問責の使者を送ったとしている)。 忠臣であり呉国建立の立役者でもあった陸遜は、主君の信を失ったことに衝撃を受け、憤死してしまった。

なお、陸遜は昔から楊竺の性根の悪さを見抜いており、楊竺の兄の楊穆に「弟と離縁したほうが良い」と忠告していたことがあったという。また、その兄・楊穆は二宮事件では讒言ばかりを行う楊竺を諌めていた。

陸胤に敗北

孫権は密談の内容がなぜ孫和に漏れたのかを調査し、はじめ楊竺が疑われた。 しかし楊竺は、陸遜が陸胤から密談の内容を聞いて上奏を行ったことに着目し、漏らしたのは陸胤ではないかと孫権に申し述べた。 陸胤は上記のとおり孫和から話を聞いていたのだが、孫和に災いが及ぶことを恐れ、楊竺から話を聞きましたと申し述べた。 孫権は楊竺と陸胤の双方を幽閉して拷問した。 陸胤は拷問には耐えたが、楊竺は耐えられず自白。その罪で斬首された。

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