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曹植そうしょく192年232年)、字は子建曹操の五男。兄に曹昂曹鑠曹丕曹彰。弟に曹熊曹彪曹沖曹宇曹林曹袞曹據曹矩曹子上曹子勤曹玹曹峻曹幹曹子乗曹子整曹子京曹均曹子棘曹徽など。子に曹苗曹志など。

概要

曹家での順位

もともとは側室である卞氏の子だったが、曹操の正室である丁夫人に子がなく、劉夫人の子の曹昂・曹鑠が年長であったが早世し、丁夫人が離縁してしまったため、卞氏が正室に上げられ、嫡流となる。それでも兄に曹丕・曹彰がおり、曹植は三番目。

詩才

曹植は詩才に秀で、数多くの詩を残している。幼少にして十万言をそらんじたと言う。「詩聖」と呼ばれた。また、父・曹操と兄・曹丕とともに三曹と呼ばれ、さらに建安七子とあわせて建安の三曹七子と呼ばれた。

兄・曹丕から「七歩歩く間に詩を作れ。できなきゃ死刑」と言われて作って曹丕を感動させた「七歩詩」や、兄・曹丕の奥さんの甄氏との不倫願望を詠った「洛神の賦」などが有名。

ただ、父・曹操も詩好きで、曹植の詩才を溺愛した。このことが曹操の後継者が決められる際に不幸を呼ぶことになる。

後継者争い

父・曹操の権勢が次第に巨大になると、その後継者争いが勃発。第一候補は嫡流の長男である曹丕であるが、曹植が曹操に溺愛されていたため、跡継ぎは曹植になるのではないかとの声もあり、曹植の側近たちは現実に曹植を推した。

曹丕と曹植、およびその側近たちは対立し、政治闘争の様相を呈したが、216年に父・曹操が王に就任すると、太子任命と言う形で跡継ぎを決定しなければならなくなったため、217年に曹操の決断によりあっさり曹丕が勝利。

事がこれで済めばよかったのだが、この時から曹丕は旧曹植派への弾圧を始める。

そして220年に曹操が亡くなり、曹丕がその後を継ぐと、曹植の側近は次々と理由をつけて処刑され、曹植の四友と呼ばれた丁儀丁廙などは一族の男子皆殺しとなった。曹植自身も各地を転々と左遷された。

皇帝となった曹丕は、怨恨を恐れ、ついに曹植自身も処刑しようとする。そこで「『兄弟』と言う題で、兄弟という文字を使わず、かつ七歩歩く間に詩を作れ。もしできなければ、今まで詩の天才などと自負していたことを偽りとみなし、これを罪として処刑する」と命じた。応じて曹植が作ったのが前途の「七歩詩」。

「煮豆燃豆 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急」

(「豆を煮るために豆殻を燃やせば 豆は釜の中で泣く 元は同じ根から生まれたのに なぜ互いに争わねばならないのか」)

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