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曹操(そうそう) - 破格の天才

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曹操(そうそう/cáo cāo、155年220年)、孟徳国の楚を築いた。魏の武帝(死後に諡された)である。

概要

豫州県の人。洛陽北部尉に着任し、違反者を苛烈に取り締まる。黄巾の乱において功績を挙げるが、病気と称し隠遁生活に入る。

その後、反董卓連合軍に参加。192年に兗州に就任すると、董卓の残党のもとより逃走した献帝を奉戴し、196年に都を自らの領地である許昌に移させた。194年に徐州陶謙を攻めるも、その隙に張邈陳宮が造反し、彼らが担ぎ上げた呂布に兗州の大部分を奪われた。しかしすぐにこれを奪還し、呂布は逃走して徐州を奪ったが、これを攻め滅ぼした。

こうして順調に勢力を拡大し、198年頃には董卓の残党も滅んで長安などその領地を吸収。200年の官渡の戦いにおいて袁紹を破るなどその一派を滅ぼし、さらに208年に荊州劉表のあとを継いだ劉琮を降伏させると、中原を含む中華のほぼ半分を手中にした。しかし、同年に南部の制圧を試みるが劉備孫権の連合軍に赤壁の戦いで敗れて撤退。

その後、211年に反乱を起こした馬超および韓遂ら、215年に漢中張魯を撃破してさらに領土を拡大し、その勢力を磐石とするも、220年に病死。

身分立場を超えて広く人材を集め、また活用することにも長けていた。『孫子』に注釈を入れた『孟徳新書』や優れた詩を残す等、文学者としても優れた人物であり、陳寿は「非常の人、超世の傑」と評している。

逸話

曹操評

「非常の人、超世の傑」、「破格の人」(陳寿

「天下は乱世になろうとしている。一世を風靡する才能が必要だ。よく乱世を鎮められるのは、君のような人だ」(橋玄

「漢朝は滅びんとし、天下を落ちつかせるのはこの人物に違いない」(何顒

「治世の能臣、乱世の奸雄」または「治世の姦賊、乱世の英雄」(許子将

九蒕春酒法

曹操が新たな醸造法「九蒕春酒法」を発明し、献帝に上奏した。

容貌

背が低かったらしく、どこかの国の外交官が来た時、自分の代役を立てたとか、なんとか。また、痩せていたとも。

武具

愛馬

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