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張松(ちょうしょう)

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張松(ちょうしょう生年不詳212年)子喬劉備の入蜀に協力したが、劉璋に事が露見し処刑された。

概要

曹操に恨みを抱く

益州郡成都の人。張松は兄張粛に比べると、素行が悪く評判は芳しくなかった。しかし博識な一面もあり法正孟達等、張松と懇意にする人物もいた。

208年曹操荊州侵攻の為に南下を開始した際、劉璋は陰溥張粛らを曹操のもとへ度々遣わし曹操に敬意を表し、友好政策をとった。曹操が荊州を平定した後、今度は張松が曹操のもとへ使者として赴いたが、曹操の張松に対する態度は高圧的で冷たいものだった。張松はこの事を恨みに思い、赤壁の戦いで曹操が大敗した後、成都に帰還した。

法正と画策

成都に帰還した張松は劉璋に曹操の悪口を吹き込み絶交するように勧め、代わりに劉璋の親族でもある劉備と盟を結ぶべきだと進言した。劉璋はこれを聞き入れ、法正・孟達に軍を率いさせ劉備のもとへ派遣し防備に協力するようにした。帰還した法正は劉備を賞賛した。張松は劉璋を廃し益州の主として劉備を迎えるようと法正と画策したが、中々きっかけを掴めなかった。

劉備を迎える

211年、曹操が鍾繇に命じ漢中張魯へと進攻しようと動き出した。漢中が陥落した後、曹操が益州へ進攻してくるのは明白だった為、劉璋は恐怖した。張松は劉璋に劉備を益州に迎え入れ、張魯を討伐させるべきだと進言した。また、龐義李異らが傲慢に振舞っていた為、曹操が益州へ進攻してくれば彼らが寝返る恐れが有ると言った。劉璋はこれを聞き入れ法正を遣わし、劉備を迎えた。

計画半ばで

張松・法正は劉備に密会し、益州の軍事機密を全て伝え益州の主となって欲しい旨を伝えた。劉璋は劉備を歓迎し100日もの間宴を催し劉備を歓待した。劉備は中々行動を起こさなかった為、張松は焦りだした。そんな折り、劉備は孫権に備える為として、荊州へ帰還しだした。これは高沛楊懐らを討つための策であったが、張松に伝わっていなかった為、張松は慌てて劉備のもとへ「益州の新しい主を迎えるという大事が成就しようとしているのに何故帰ってしまわれるのですか?」という旨の手紙を劉備に送ろうとしたが、兄張粛に露見し劉璋に告げた為、張松は処刑された。

逸話

楊修も認めた才

張松が曹操のもとへ赴いた際、宴が催された。その席で楊修は曹操の著書を張松へ見せた。張松は一目見ただけですぐさま全文を暗唱した。楊修は驚き張松の才を賞賛した。曹操へ張松を召抱えるよう進言したが聞き入れられなかった。

ひどい容姿

頭部はとがっていて、額が前に張り出し、鼻が曲がり、出っ歯が反り返っていたと言う。声も、割れた鐘の音のようだった。

三国志演義では

百叩きの刑

曹操のもとへ赴いた張松はその言動から曹操の怒りを買い百叩きにされ追い払われた。

劉備に歓待を受ける

曹操のもとで冷たくあしらわれ帰還中、趙雲関羽らが張松を歓待し、最後は劉備自らが張松をもてなした。張松はこの事に感動し「西蜀地形図」を劉備へ渡し益州の主となるよう懇願した。

血縁

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お、おしい・・・ というか気付かなかった 兄ちゃん・・・ 密書 分かりました では劉皇叔 落ホウハでのホウトウ殿の道案内は私めが手引き致しましょう 副軍師殿には 護衛として 趙雲殿をお付けすることを 慎んで申し上げます 孔明殿には この 西蜀四十一州図を渡しておきましょう 入蜀する際には ぜひ 私めら 三人のうち 誰かに返事を下さることを 慎んで お願い申し上げます  密書 関羽殿のような高潔な人物は 劉備殿の後方で留守を預かっていた方が懸命でしょう 桟道以外の別の道もありますが 落ホウハという土地もございます 副軍師のホウトウ殿には 不吉な道でございます 通ることはあまりお勧めしませんが・・・ 私をはじめ 法正 孟達らは 玄徳殿のことを慕っております どうか蜀の地を取ってくだされ!   実際にこんな感じでございます 再発行された 光輝三国志にも 乗せておられたかと思います 絶壁に穴を開け 杭で橋を打ちつけてございます ひとはいちれつに連なり 通る他ございません 今時分では この道を好んで通るひとがおられるかは 私めにはわかりかねますが・・・ ひとつの例えですが 船を使っているかと思われます 

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