荀彧
曹操の謀臣。名門の家柄で、「王佐の才」と称され、人並みすぐれた容姿でも知られる。26歳で考廉に選ばれ、守宮令に任命される。天下が乱れると最初袁紹に仕えるも、すぐに見限り曹操の元へ。曹操からは「我が子房」と歓迎された。いちはやく献帝の奉じて許に遷都することを進言し採用された。これにより曹操は「官軍」となり「錦の御旗」を得ることになる。官渡の戦いでは「至弱をもって至強に当たる」戦略構想によって、袁紹を滅亡に追いやり、曹操は覇権を手中におさめる。尚書令に抜擢され、多くの人材を推薦、発掘し、国政に重きをなすが、曹操が魏公に就任することに反対し怒りを買う。その後、病にかかり憂悶のうちに死亡。一説には自殺したという説もある。












