郝昭
諸葛亮は常々人材が大事であり、それを育てるのが大事だといっていましたが、その人材に阻まれた陳倉の戦い、その主役が郝昭でした。
郝昭、字は伯道、太原の出身でした。若い頃から勇猛果敢な人であり、叩き上げの軍人でした。諸葛亮が自ら攻めて来た時、郝昭は陳倉城を守る事となりました。諸葛亮は、最初は郝昭の友人を送り込んで説得しようとしましたが、失敗し、結局は攻めることとなります。
この戦いで、諸葛亮は様々な攻城兵器を持っていきました。雲梯というはしご車の類のものや、衝車という破城槌を搭載した車が主役でしたが、雲梯は火攻めにし、衝車は石で潰すなど、城にこもる兵は少ないながらもよく善戦しました。蜀軍はここで時間を喰い、ついに兵糧が尽きて撤退することになりました。これは諸葛亮が直接指揮した戦いでは初めての敗戦であり、彼が持久戦に弱い事を魏に悟られてしまい、かつ、蜀軍のなかでも、絶対的な強さを持つと言われた諸葛亮が戦いに負けたという事で、非常に大きな影響がありました。この後、魏の首脳陣は、持久戦法をとり、蜀のその後の北伐はほとんど成果がでませんでした。
ちなみに蜀が退却する際、王双が追撃しますが、逆襲にあい、戦死しています。郝昭ほどの人物なら、諸葛亮が備えをしており、追撃は危険だとわかっていたはずですが、なぜか止めていません。多分二人の仲はあまりしっくりいってなかったのではないでしょうか。












