荀彧
王佐の才と謳われた荀彧、この時代の典型的なエリートで、名門であり、ハンサムという事が歴史書に書いてあるほどの人でした。どうやら荀子の子孫であるようで、この時代の名家の一人でした。軍事よりは、大局を見ることや内政を得意としていたようです。また、人物眼が非常にあり、後に魏を支えていく人物、すなわち郭嘉、陳羣、司馬懿、華歆などを推挙しました。また、曹操が自身の勢力が弱小の時にたまに弱気になった時に、何度も励ましたりしました。正に曹操が荀彧を得た時に、我が子房を得たと言うように、張良に負けない働きをしてきたのです。
そうした二十年以上曹操に仕えてきた彼ですが、その最後には色々と謎が多く、病死、自殺など様々な説があります。その原因については、九錫を曹操が受ける事に関しての対立などが主な説ですが、詳しい事はわかっていません。
陳瞬臣氏の意見として、荀彧のいう事に基本的に逆らわなかった曹操が、九錫の様な重大な事で、他の参謀の賛成があったとはいえ、荀彧の反対を無視するような事は無いと思います。そこには、筆頭参謀の荀彧が反対するのをいいことに、反対勢力が荀彧の元に集まり、曹操がその反対勢力をあぶりだすというものがあります。自分も、この説は少し意外でしたが、なかなか信憑性があるなと思います。私自身の説としては、自殺とまではいかかくても、憂慮のあまり病気になって死んでしまったというのが妥当なのかと思います。しかし、曹操との対立がそこまで表面化したかといえば、そうではなく、あくまで一部の意見の対立に過ぎず、大筋では荀彧をまだ信用したのではないでしょうか。もし自殺したのなら大逆罪が下手をしたら適用されて、諡を贈られるなどはもっての他なのです。さらに妻子にしても捕縛される可能性がありますし、甥の荀攸がそもそも無事ではない気がします。孔子の子孫である孔融を処断した曹操ですから、これ位の処分はすると思います。しかし、諡を贈られ、子孫は繁栄しているところをみると、これは曹操はまだ信用したものの、荀彧の側で思い悩んで病死したというのが妥当なのではないでしょうか。












